TranDiaTec.com -TRAIN DIA TECHNOLOGY-

 

 

車輌の紹介

"Series 205(Keiyo-Line)" in the banner is composed from "Super High Quality Texture".

●京葉車輌センター所属

※写真はクリックすると拡大して表示します。
写真は特記以外ソレア撮影

■205系(京葉線用)

▲新浦安に停車中の205系東京行。これまでの205系と違って新たに設計されたフロントマスクをしている。


▲京葉線用205系。このタイプは京葉線用として製造されたタイプ。110km/h対応車で限定運用が組まれている。


▲舞浜に進入する東京行き快速。この編成は中央総武緩行線からの転属車。
PHOTO:葛飾区


▲このタイプは山手線、中央総武緩行線、京浜東北線用として製造され、後に転属したタイプ。こちらのタイプは103系、201系非分割車運用と共通の運用が組まれている。


▲この車番の前の前の「○」が110km/h対応車の証。新習志野にて


▲TranDiaTec.comのA列車のプロジェクトで誕生したSHQT(Super High Quality Texture)仕様の205系。写真を背景に、フォトショップで何枚ものレイヤーを重ね、「レイヤー効果」をフルに使用して描いた会心の一作でもある。

 205系は 国鉄末期の1983年から開発が始まり、201系に代わる更なる省エネの車両として85年1月に登場した。ブレーキの仕組みは、空気指令式の電磁直通ブレーキから正確な電気指令式ブレーキに変わり、台車の仕組みも、従来のボルスタ付台車から、構造が簡単で、軽量なボルスタレス台車に取って代わった。ブレーキの空気圧調整などにはコンピュータによる制御が取り入れられた。運転台からはブレーキ弁ハンドルが姿を消し、代わりに運転台に「ブレーキ設定器」という名前で、ブレーキハンドルが常に接続された状態となった。手ブレーキは省略され、ワイパは電動化された。M車とM'車は103系のようにMcが製造されなかったこともあって同一番号となり、半永久の棒連結器によって連結されている。
 京葉線向けの205系は89年に登場、正面デザインを変更、前面は白色となった。東京ディズニーリゾートの最寄り駅である舞浜駅を通るためか、帯の色は前例のないスタイリッシュなピンクとなった。89年に投入された12本については最高速度が110キロとして使用できるようブレーキの増圧改造が行われており、車体腰板にある車両の形式番号の前には""というマークがついている。
 2002年の4月には中央総武緩行線の205系がピンクの帯を巻いて京葉線に転属、営業運転を開始している。 新しく転属した車両には最高速度110キロの対応改造は行われず、当初から配属されている205系京葉オリジナル車とは運用が別で、201系貫通運用車、103系との共通運用が組まれている。

  参考資料によると、今後、山手線に存在していた205系量産先行車(ヤテ1-4編成、側窓が2段窓のタイプ)が、京葉車両センターに転属予定で、同時に103系の淘汰も行われる模様。05年5月現在、中央総武緩行線からの205系が1本、山手線からの205系が2本で、京葉車両センター所属の205系は10両編成15本の150両となっている。

 今回作品内では、 ダイヤ作成のページで述べたとおり、205系京葉線オリジナルタイプと205系他線区転属車、201系非分割運用車、103系との運用を分け、実際に所属している編成数から使用編成数を割合で算出、その結果、205系京葉線オリジナルタイプは12本、205系、201系、103系の混合グループは9本、201系分割車運用は4本の構成となっており、全車が京葉車両センター所属となっている。

 06年2月現在、山手線から量産先行車が転属をしており、05年12月のダイヤ改正で103系から活躍の場を譲り受けた。現在は205系転属車と201系分割不可能編成との共通運用となっている。

 

(05.-5.30作成、06.-2.24改訂)

■201系

▲誉田に停車中の外房線直通の東京行快速。写真奥が東京方面。この後ろに成東からの4両編成が連結される。
PHOTO:通過駅


▲京葉線で活躍する201系は青色22号の塗装。すべて6+4の10両編成となっているが、ダイヤの解説でも述べたとおり、分割運行が可能な編成とそうでない編成に二分される。6+4であるが10両固定として運用される車輌は、205系の転入車と103系と共通運用が組まれている 。


▲SHQTプロジェクトでリペイントした京葉線用201系。実際と同じように外房線直通の通勤快速に使用される。

 201系は1979年(昭和54年)に当時までの車両(101系、103系)の代替として中央快速線に投入された。省エネルギーを念頭におき、103系まであった発電ブレーキの代わりに、ブレーキ時に発生した電気を架線に返し、付近のほかの列車にその電気を使わせる、回生ブレーキを 採用している。

 京葉線には当初201系は配置されていなかったが、中央総武緩行線にE231の投入が始まった2000年に、ねん出した4編成が当時の京葉電車区、現在の京葉車両センターに車体色を青22号に変更の上転出した。また同年8月から外房線、東金線への直通運転を開始し、中間クハに自動解決装置を装備して外房線誉田で分割併合を行って、基本6両が外房線勝浦へ、分割4両が東金線成東まで直通運転を行った。2001年に三鷹電車区からさらに試作車編成を含む3編成が京葉電車区へ転出したが、この"後組"には自動解決装置を装備せず、また、試作編成のクモハ200には床下機器のスペースの関係でATS-P機器を装備できなかったため、この"後組"3本は205系の転入車組と103系と共通運用が組まれている。
 2005年(平成17年)12月のダイヤ改正で京葉線内からは103系が姿を消し、京葉線の通勤型は201系、205系で統一された。201系は、中央総武緩行線、山手線から転属した205系と共通運用が組まれるグループ、分割併合が可能なグループに分かれている。

(05.-5.30作成、06.-2.24改訂)

■103系(京葉線用)

▲蘇我に停車中の京葉線103系。ラストランまで近い。PHOTO:通過駅


▲京葉線を走る103系。JR東日本全体からの103系の淘汰は著しく、京葉線の103系も山手線からの205系の置換えで全廃になるといわれている。
国電総研より)

■103系(武蔵野線用)

▲晩年の武蔵野線用103系。武蔵野線は首都圏で最後の年度まで一大勢力を持って103系が活躍した数少ない線区である。舞浜 PHOTO:ぶんぶん

▲著名な撮影地「見沼田んぼ」を行く武蔵野線用103系[E11]編成。最後まで残ったのは[E15]編成で、この編成は残念ながらブービーとなった。
東浦和-東川口 PHOTO:ぶんぶん



▲武蔵野線を走る103系。EJAT21では全てを205系に置換えではなく、数日ローテーションに103系と205系と組み合わせることで日付ごとの運用の違いをユーザーに楽しませる構成になっている。

 103系は、1963年(昭和38年)、101系に代わり、駅間の短い山手線用として開発された車両である。101系は高速域を重視して設計された形式のため、駅間の短い山手線には向かなかったのが開発の理由であったが、101系無き後も数多くの線区に投入され、1984年(昭和59年)までの実に21年にわたり、合計3447両が製造された。
 武蔵野線でもその例に漏れず、開通時は長大トンネル用AA基準を元に改造された101系1000番台を使用していたが、次第に103系に置き換えられ、205系武蔵野線用車が投入されるまでは武蔵野線は103系の天下となった。投入時は6両編成だったが後に8両編成に増結された。車体色はオレンジ。
 京葉線は1986年(昭和61年)開通時から103系が使用されており、開通時は6両だった編成も晩年は10両編成になっていた。車体色はライトブルー。
 両線で運転されていた103系には代表的なATC付高運転台タイプだけでなく、クラシックファンや、大阪環状線ではおなじみの低運転台タイプも存在。低運転台タイプでも、クハだけでなく制御電動車であるクモハも存在し、クーラーのタイプも標準的な集中型「AU75」だけでなく、分散型クーラーの「AU712」を搭載するグループも存在した。 また、クモハ103形はATS-Pの取り付けによって左上の運行表示窓が埋められたものと、埋められているが、運行表示窓の金具枠のみ残っているものがいて異彩を放った。高運転台タイプでも山手線等で活躍した「ATCタイプ」と、中央線で活躍した運転台の後ろの客室との仕切りに窓がある「非ATCタイプ」と二種類見られた。
 その後、2005年(平成17年)12月のダイヤ改正で京葉線、武蔵野線から103系は淘汰され、同線内でその姿を見ることはできなくなった。一部の車両はインドネシアに譲渡されたり、JR福知山線脱線事故の影響で車両数が不足となったJR西日本に売却され るなどしている。

(06.-2.24作成)

■205系(武蔵野線用)

▲大井工場に入場中の武蔵野線用205系従来車。"従来車"、"メルヘン顔"、"生え抜き"など、いろいろな愛称がある。大井工場一般公開にて PHOTO:ぐっち


 武蔵野線には京葉線に投入されたグループと同様の前面を持つ205系が1991年(平成2年)から投入されている。当初は暫定的に6両編成1本の入線だったが、後に8両化され、界磁添加励磁制御の編成がM61編成〜M65編成の5本、計40両が出揃っている。
 また平成17年に後述する5000番台のM種車不足により、M61編成の中間M車1ユニットを他編成のM車に供出することになり、1本が中間に山手線からのT車2両をはさみ4M4Tとして組成、従来車顔でありながら、VVVF編成5000番台(先頭車のナンバーは従来のまま)となるなど、異彩を放つ編成が存在している。
 ちなみにVVVF編成化された旧M61編成はM35編成に新たにナンバリングされており、これにより界磁添加励磁制御の編成はM62〜M65編成の4編成で、M61編成は欠番、103系が淘汰されたいま、武蔵野線は40編成から1本少なくなって39編成の体勢となっている。

(06.-2.24作成)

■205系5000番台

▲府中本町の電留線に引き上げる205系5000番台。これはケヨ40編成で、元中央総武緩行線の車。京葉電車区(現:京葉車両センター)に豊田電車区から移管後に武蔵野線用の205系は編成番号の改番が進み、この編成は現在「M2」編成となっている。PHOTO:葛飾区


▲京葉車両センター内の205系5000番台。この車両は山手線からの転属車をモデルにしており、運行番号表示がM1、M2編成が幕であるのに対し山手線からの転属車はLED表示となっている。


▲府中本町に停車中の、T205-227。同じくドア窓が大窓のT205-226とコンビを組み、山手線からの小窓車中間に組み込まれている異端車である。元は埼京線の205系に組み込まれていた。

 武蔵野線で活躍する103系は製造後相当の年数が経過しており、車体も老巧化が進んでいた。同時期、山手線にE231系の投入が始まるため、同線の205系が余剰となるので、武蔵野をはじめ、仙石、八高・川越、南武、埼京の各線に転属する計画が立ち上がった。しかし、必然的に先頭車、また電動車が足りなくなるため、T車の電装化、また先頭車化改造を行った。
 武蔵野線に転属する205系は、当初配置されていた205系が6M2Tであったのに対し既存の車両の組成ではMT比が不足し、京葉線内の33/1000‰に対応できないため、主制御器をVVVF化し、三相交流電動機を使用することによって対応、番台を5000番とした。武蔵野線に転属する205系はすべて5000番台、VVVF車となる予定であり、MG付のM車も不足するため、一部編成では高圧補助電源にSIVを設置して対応している。
 なお、豊田電車区から04年春の改正で車両管理が京葉電車区(現:京葉車両センター)に転属した後、編成番号の改番が行われており、投入順からM1編成、M2編成("M"はMusashino[武蔵野]の"M"か)というナンバリングが行われている。また、M1編成、M2編成が中央総武緩行線からの転属車で、M3編成以降が山手線からの転属車となっている。また、中間のサハ2両に埼京線からの6扉車ねん出による余剰サハが組み込まれている編成があり、その編成はクハ2両ともは4両のドアが小窓で、中間サハ2両のドアが大窓となっており異彩を放っている。

(05.-5.30作成)


●幕張車両センター所属
 

■255系

▲255系房総ビューエクスプレス。メカニカル的には253系とE351系の中核をなす、過渡的な時代の車両である。
茂原にて PHOTO:通過駅


▲A2001時代のPKから登場の255系。このマップに房総マップが組み合わさることで本領発揮か。

 房総地区の老巧化した183系を置き換えする目的で製造されたにもかかわらず、置き換えに至る本数が製造されなかった形式である。1992年(平成4年)から1993年(平成5年)にかけて5編成45両が製造され、主制御器にはVVVFインバータを採用、一編成は4M5Tの9両編成である。全車が総武線幕張本郷駅付近の幕張車両センターに所属し、京葉線特急の運用に入る際は蘇我経由で送り込みをしている。
 成田エクスプレス用の253系と同じ断面をしており、255系のほうが253系より、窓の縦の長さが大きい。
 登場時から既存の183系と区別するため、列車名には「ビューわかしお」「ビューさざなみ」のように「ビュー」という名称がついていたが、2005年12月のダイヤ改正でE257系と両雄体制となったため、「ビュー」の名称を取り、「わかしお」「さざなみ」となった。また、同改正で房総半島の特急から183系が淘汰され、E257系500番代と共に、「しおさい」「あやめ」にも使用されている。同時に側面の行き先表示が、方向幕式から、LED式に変更された。

(05.5.30作成)

■E257系500番台

▲潮見を通過するE257系500番台。登場時は違和感があったがそのうち慣れてしまうのではないだろうか。


▲E257を塗り分けるに500番代化は不可能であったため、代用として走行しているE653房総仕様


▲不可能を可能にしたえすぱ〜氏製作のE257系500番台。オリジナル車両であるE653系房総仕様の処遇についてはEJAT21千葉支社長のN'EX氏の判断による。 PHOTO&TEXTURE:えすぱ〜

 2000年(平成12年)に中央線に183系の置換えとしてE257系が投入され、4年後の2004年(平成16年)に今度は房総半島にE257系が500番台の番台をもって投入された。
 E257系500番代は今度こそ183系の淘汰を目的に投入され、多客時間帯と閑散時間帯の双方に容易に対応できるよう、5両編成で製造された。多客時間帯の列車では5連を2本連結して10連となって運行する。
 255系と同様、全車が総武線幕張本郷駅付近の幕張車両センターに所属し、京葉線特急の運用に入る際は蘇我経由で送り込みをしている。主制御器にはVVVFインバータを採用、一編成は3M2Tの5両編成で、19本、95両がでそろっている。2005年12月のダイヤ改正で255系と共に房総半島の183系を淘汰し、同改正からは「わかしお」「さざなみ」だけでなく、「しおさい」「あやめ」にも投入されている。

 A列車で行こう21Cには中央線に投入されているE257系0番台は収録されていたが、E257系500番代は、E257系のゲーム内で3両組成となる貫通型をいくら塗り替えてもうまくE257系500番代にならないため、EJAT21千葉支社長のN'EX氏と私はほとほとあきらめていたが、EJAT21新津車両製作所車両技術係の えすぱ〜氏が見事に製作し、代替として入線していたE653系オリジナル房総仕様の処遇が気になるところである。

(05.5.30作成 06.-2.25改訂)

■183系

▲183系0番台。正面の愛称幕はLED化されている。舞浜 PHOTO:葛飾区


▲高崎線内をいく183系0番台。06年高尾山への初詣号である。
北鴻巣-吹上 PHOTO:ぶんぶん


▲こちらは183系1000番台。2両目以降は松本、長野からの転属車で、大窓車である。舞浜 PHOTO:葛飾区


▲伊豆急行線内をいく189系と183系の混合編成。 各線区からの183系淘汰後、189系の車両はグレードアップ改造アコモ改善車多かったため、波動用編成の先頭車に189系がたつケースが多くなった。
片瀬白田-伊豆稲取 PHOTO:ぶんぶん
_■

 183系電車は国鉄時代の1972年に、総武本線東京駅開業、また房総方面の急行列車を特急列車にするために設計された特急列車で、地下線乗入れ対応の貫通扉付0番台と、貫通扉なしの耐寒型、特急「とき」のために製作された1000番台、1000番台をベースにATC機器を取り付け、東京駅地下線に入線を可能とした1500番台が存在する。またJR西日本は、福知山線等で使用する485系の交流機器電装解除車の800番台が存在する。
 中央線にE257系の投入が始まると、1000番台の中間グレードアップ車が房総半島に流入し、中間車は1000番台、先頭車は0番台、1500番台の編成が存在した。
 各地に新型特急車の配置が続き、またアスベストを断熱材に使用していることもあって、淘汰は進んでいる。2005年12月のダイヤ改正では、とうとう房総半島の特急の座を255系、E257系500番台に明け渡し、JR東日本管内での特急の座を降りることになった。
 現在は波動用にJR東日本直流線区の各車両基地に数本づつが配置されるのみであるが、朝晩には各線で以前ライナーとして使用されており、また多客時、繁忙期には団体列車、臨時列車として活躍する元気な姿を見ることができる。 同系列である189系に、グレードアップ改造アコモ改善車が多く存在したため、同系との混結も行われており、現存する各車両基地の編成でみると189系が先頭に立つ編成が少なくない。
 2番目の写真は2006年(平成18年)1月に高崎線内を高尾山への初詣臨時列車として走行したもの。05年(平成17年)12月のダイヤ改正で、183系0番台はすでに房総半島から撤退しており、この編成も廃車が決定し留置されていたが、例年に無い大雪で使用予定だった新潟車両センターの485系の回送が間に合わず、急遽、代走として使用されたもの。前面サボもこのために用意されためずらしいショット。
 4番目の写真は、伊豆急行線内をいく183・9系。全検出場後の美しい姿の田町車両センター所属の8両編成。「特急 河津桜」号だが、HMは「特急」が掲出されている。
 スクリーンショットはえすぱ〜氏作成のもの。CGを加工して運転台屋根上のライトは取り除いてある。

(05.-5.30作成 06.-2.26改訂)


●豊田電車区所属
 
■115系

▲府中本町・八王子-大宮で運転されている「快速 むさしの」。豊田電車区所属の115系スカ色6連で運行されており、朝の府中本町発大宮行きは相当な乗車率を誇る。現在のところ、いまだ定期化にはなっておらず、周知不足なのか朝の1号以外の乗車率はいひまひとつなようだ。
新座 PHOTO:ぶんぶん


▲A列車内では115系3連のSHQTリペイント車が活躍。しかし武蔵野線マップでは新秋津・北朝霞の両駅が無いため、府中本町-東所沢間の中央線との連絡線から武蔵野線に入り、東所沢-南浦和間の大宮方面への連絡線へ消える、少々イースターエッグ的な存在となっている。

 115系は1963年(昭和38年)に寒冷地、急勾配路線での運用を目的として同じ3扉近郊型の113系をベースに開発された。製造は1983年(昭和58年)まで続き、一時期には急行列車や特急列車の代用にも使用された。
 スカ色として親しまれている、このクリームと濃紺の車体の車両は主に中央東線に使用され、中央東線の普通列車といえば、115系のスカ色6連、または3連だった。現在、中央東線に使用されている115系のほとんどが、古巣の豊田電車区から松本車両センターに移管されており、現在中央東線の普通列車はパステルカラーの新長野色が占めるようになっている。
 武蔵野線では豊田電車区に残った数少ないスカ色115系6連を使用した「快速 むさしの」が運転されている。運転区間は朝の1号が府中本町-大宮、2〜4号が八王子-大宮となっており、黄色のHMを取り付けて運行。しかし、現在のところ、いまだ定期化にはなっておらず、周知不足なのか朝の1号以外の乗車率はいひまひとつなようだ。


 

(06.-2.26作成)


●そのほかの列車
 

■参考資料

Special Thanks

鉄道ファン
92年1月号
特集:205系通勤型直流電車

・205系記事

鉄道ファン
05年2月号
特集:201系四半世紀の歩み

・201系記事

鉄道ジャーナル
03年1月号
特集:ひかりからのぞみへ

・205系5000番台記事
鉄道ファン
05年11月
特集:JR世代特急形EC,DC

・255系、E257系記事
鉄道ファン
05年12月
特集:国鉄世代特急形EC,DC

・183系記事
Photo by
ぶんぶん
ぐっち

葛飾区
通過駅

Texture by
Gutti
えすぱー

and
EJAT21
SHQT Project

国電総研
(205系転属情報)

Wikipedia
(国鉄183系電車、国鉄205系電車 、国鉄103系電車 、
 国鉄115系電車)

Musashino Dream Network
(関連記事他)

 

京葉・武蔵野線レポートTOPへもどる